散歩や登山で、夕陽の景色を眺めることが多い背振山系の山々は、古代の人々にとっても信仰の山だったことだろう。最近は須玖岡本遺跡の高台から夕陽を眺めると、丁度背振山頂付近に夕陽が沈む。「大宰府・宝満・沖ノ島」の中に背振山と日拝塚古墳・大塚古墳の祭祀線が紹介されている。
〇下記の文章の大半は、「大宰府・宝満・沖ノ島」の中から無断で引用させてもらっています。
背振山と須玖岡本遺跡の王墓を結ぶと、間にある日拝塚古墳をラインが通過する。日拝塚古墳は、全長56mの前方後円墳で、此処から春秋の彼岸に16km離れた大根地山から昇る太陽を拝むことが出来ることから、その名がある。
*下記写真は須玖岡本遺跡から眺めた背振山に沈む夕陽と、彼岸ではないが日拝塚古墳で眺めた御来光の風景。

背振山・日拝塚・須玖岡本遺跡のラインをそのまま伸ばすと、乙犬山(185m)を通過して宮若市の竹原古墳に届く。背振山・須玖岡本王墓のラインは、日拝塚や竹原古墳の被葬者にとって聖なるラインだったのだろう。

上記の背振山から竹原古墳へのラインは、桂川町にある大塚古墳にもつながる。この古墳は6世紀中頃に造られた、全長86mの前方後円墳である。王塚古墳から宝満山に向かって直線を伸ばすと、そのまま背振山頂迄ラインが届く。王塚古墳の被葬者は宝満山と背振山と言う福岡平野の代表的な山と繋がっているのだ。(またこのラインは、太宰府の観世音寺の講堂の真上を通過している)。
〇宝満山と背振山は、はじめ福岡平野の弥生の王達と繋がり、彼らの
「神上がりの聖なる山」だったと言ってよいだろう。時代が下がるにつれて伊都国や遠賀川流域の有力者ともつながっていった。
