1月の最終日は、「記紀」の「天孫降臨伝説」の存在する高祖山(クシフル山)を歩く事にした。高巣山を歩いた後は、平原遺跡周辺を歩いて、最後は伊都国歴史資料館で開催されていた講演会に、無理をお願いして参加させてもらった。まだまだ寒い日が続くが、2月に入れば、各地の半島や低山に出かける機会が増えるので、痛めた脚がどれだけ耐えられるか一抹の不安もあるが、ヨイショと四股踏んで老体に鞭打って出かけたいものだ。9,647歩(1月合計271,722歩)。
高祖山登山口の高祖神社に向かう前に片江展望所に立ち寄り、福岡市内の夜景と御来光を眺めてスタートした。


登山口の高祖神社に参拝。境内の白梅は満開状態。

登山道途中にある一の坂礎石群。このルートは4年前に一度歩いただけなので、殆ど記憶に残っていなかった。山頂へは50分程度の単調な一本道だが、フ~フ~言いながら登った。

高祖山山頂。二つの山頂標識。クシフル山名は「天孫降臨」の伝説に基き、古代史ファンの何方かが設置したのだろう。伝説が真実だと証明されるようなことが万が一でもあれば面白いのだけどね。

高祖山山頂からの糸島方面の展望。
〇怡土城・・・糸島市と福岡市との境にある高祖山の西斜面一帯に築かれた古代山城です。
『続日本紀』によると、天平勝宝8年6月(756年)から神護景雲2年2月(768年)まで約12年の歳月をかけて完成したとされています。築城担当者は当初は吉備真備でしたが、途中から佐伯今毛人に交代し完成しました。築城時をしのぶ遺構としては8ケ所の望楼跡、山裾には南北約2キロメートルにわたる土塁が確認されています。しかし、肝心な城郭内の施設についてはよくわかっていません。怡土城の特色の第1点は国の歴史書にその築城の担当者とその期間が明確に記録されていることです。また第2点として中国式山城の築城法が採用されていることです。怡土城は高祖山の急斜面から平地部にかけて「たすき」状に城郭を形成しており中国式山城に似ています。この背後には遣唐使として2度にわたって中国に渡海し、特に兵法に長じた吉備真備の存在を切り離して考えることはできません。

山歩きと一緒に、古代史・邪馬台国関連の遺跡を訪ねて歩く様になった原点の「平原古墳」周辺を散策した。

〇原田大六氏は、平原古墳の被葬者は、出土品の特徴や時代背景、地理的要因、神話や大陸に伝わる記録を研究した結果、古事記に記された「玉依姫」だと比定しました。
玉依姫は神格名を「オオヒルメノムチ」、神名を「天照大神」と記された女性で、当時伊都国にいた倭の女王であり、初代神武天皇の母親です。被葬者が女性で時代も近いことから「卑弥呼の墓」と言う説もありましたが、魏志倭人伝では、邪馬台国と伊都国は別の国として記述されており、時代も平原古墳が100年程前になるために、此処に埋葬されたと考えるには無理があるみたいです。

伊都国歴史史料館では、小郡埋蔵文化財調査センター長の片岡宏二氏による「邪馬台国時代の筑紫平野」の歴史講座が開催されるとのことだったので、無理をお願いして飛入り参加をさせてもらうことにした(無理なお願いをして申し訳ありませんでした。有難うございました!!)。

