高山の紅葉もピークを過ぎて、明日にはひょっとしたら九州の高山では初雪が降るかもしれない。綺麗な雪景色を求めて、どれくらい山に入れるか自信は無いが、一応ファイティングポーズだけはとっておこうと思って、昨日はタイヤだけは交換しておいた。今まで比較的アクセスに便利な九重・英彦山・阿蘇・由布岳の4か所で、霧氷や雪景色は242日も眺めているので、今更老体に鞭打って、単独で危険な雪道を走ったり御来光を眺めに山に向かうのは止めておいた方が良いのかもしれないが、今季が最後の冬山登山だと思って、周囲に迷惑をかけないように慎重に積雪の高嶺を目指すことにしよう!!。
今年で登山は止めようかと思っていたが、現在の膝の状態なら、もう少しは山歩きを楽しめそうだ。11月中旬で、来年のことを考えるのはやや早い気もするが、来年の干支に関わる神社・山・島を福岡県の近郊で調べてみた。
〇宇賀神社(福岡市平尾)・・・福岡藩藩主黒田継高が五殻豊穣を祈って造営したという由来から「黒田稲荷」とも呼ばれています。宇賀神社は、元々は田んぼの中にあった小さな祠だったと言われています。福岡藩6代藩主の黒田継高公の時代、九州全域が「享保の大飢饉」に見舞われ、人が7万人、牛馬4千頭が餓死しました。継高公は、飢饉からの藩政立直しがひと段落した後、「風雨順時」や「五穀豊穣」を祈願するため、田んぼの中に新たに神殿、拝殿を造営したそうです。住宅に挟まれた細い参道を進むと、石造りの鳥居と三度目の朱色の鳥居が4つあります。4つ目の朱色の鳥居をくぐると、奥に本殿があります。一見するとごく普通の神社なのですが、この宇賀神社が何故馬にゆかりの神社なのかというと、それは拝殿に入るとわかります。拝殿の天井には、巨大でリアルな馬の人形が掲げられています。この馬形は約2.4mほどもあるそうです。宇賀神社は、この馬の飾りから「馬の神社」として有名な神社なのです。この馬の人形がいつから飾られているのかは不明ですが、素材や製法などから昭和初期に博多祇園山笠の飾山の人形が奉納されたのではないか?という説が有力です。昭和初期につくられた山笠人形は、太平洋末期の福岡大空襲でほとんど消失してしまっているので、当時の人形の作りを知る意味でも非常に貴重な人形ということになります。2005年に発生した福岡県西方沖地震の際、最大震度6弱の地震により、宇賀神社も鳥居が倒れる被害を受けました。甚大な被害を受けたにもかかわらず、拝殿にある馬の人形は落ちることもなく難を逃れたそうです。そこから「落ちない」、「うまくいく」ということで、入試を控えた受験生に人気の神社となっています。住所、福岡県福岡市中央区大宮2丁目2−23ア ク セ ス西鉄天神大牟田線西鉄平尾駅から徒歩8分。主祭神倉稲魂命(うかのみたまのみこと)。
〇馬渡島・・・馬渡島(まだらしま)は、東松浦半島最北端の波戸岬から約9km西の玄界灘にある島。佐賀県唐津市に属する。住所は唐津市鎮西町馬渡島。地理、
佐賀県の最西端である。面積は約4.24km2で、佐賀県で最も大きい島である。最高峰は番所ノ辻(237m)。遺跡などから古くから人々が居住してきたと考えられ、大陸との航路にあたり、遣隋使、遣唐使の船の休憩地とされてきた。鎌倉時代の蒙古襲来(元寇)の伝説も残っている。現在は神道と仏教とカトリック、それぞれの教徒が共存しているが、元は神道と仏教だけであった。カトリックは、江戸時代後期にキリシタン弾圧を逃れるために長崎県の外海や平戸、五島などから移住してきた人々によって島に伝わった。島は宮の本、野中、冬牧、二タ松(ふたまつ)の4つの集落からなっている。宮の本は本村とも呼ばれ、学校、診療所、警察官駐在所、商店、漁協、船着場があり、島の中心地といえる。また、神道・仏教徒のほとんどが宮の本に住んでいる。
〇馬見神社・馬見山・・・馬見山(九七七・八メートル)の北西麓に鎮座する。祭神は伊弉諾尊・天津彦火瓊瓊杵尊・木花咲哉姫命。旧県社。「続風土記」は馬見山上に馬見大明神の社があり、白馬大明神ともいい、祭神不詳とする。「続風土記附録」によると祭神は天津彦火火出見尊・瓊瓊杵尊、相殿に賀茂大明神・荒穂大明神を祀る。いつからこれらの神名を称したかは不明で、かつては馬見山頂にあったが、のちに麓に移したという。山上には大岩のもとに小祠があり御神ごしん所とよぶ。馬見村の産神で祭礼は一〇月二九日。秋月藩の祈願所で御領分大社八社の一つに数えられ、嘉麻かま郡の惣社として郡一円からの尊崇を受けていた。