〇竹生島・沖島ウォーキング・・・(3月8日~10日)。泉大津港(6:00)――近江今津港~~~(日本一の湖、びわ湖クルーズ)~~~竹生島上陸・・・桟橋・・・本坊・・・月定院・・・宝厳寺(日本三大弁財天の一つ、本堂)・・・五重石塔・・・三重塔・・・宝物殿・・・唐門(国宝)・・・観音堂・・・舟廊下・・・都久夫須麻神社・・・龍神拝所(かわらけ投げ)・・・竹生島港~~~沖島上陸(淡水湖に浮かぶ日本で唯一の有人島)・・・漁業会館(昼食弁当)・・・沖島厳島神社・・・沖島資料館・・・西福寺・・・奥津嶋神社・・・漁業会館・・・沖島港~~~琵琶湖大橋港――神戸港(18:30)
〇竹生島とは・・・琵琶湖に浮かぶ聖地、神様の棲む島「竹生島」。滋賀県長浜市の湖岸からおよそ6kmに位置し、大きさは周囲2km、面積0.14平方kmです。国の名勝および史跡に指定されています。2016年には日本遺産にも登録されました。島内には社寺施設のほか、参道に売店と喫茶処がありますが、住宅などはありません。古くから人々の信仰を集めており、今でも“神秘とロマンの島”と呼ばれています。西国三十三所札所めぐり第三十番札所「宝厳寺」と「都久夫須麻神社」を詣でる多くの参拝客で年中賑わっています。
〇竹生島の見どころ・・・奈良時代の高僧、行基(ぎょうき)が四天王像を安置したのが竹生島信仰の始まりとされます。「竹生島宝厳寺」というお寺と、「都久夫須麻神社」(つくぶすまじんじゃ=竹生島神社)という神社が別々にあります。元々は神様も仏様も「同一の存在」として鎮座する「神仏習合」の島でした。都久夫須麻神社の本殿、宝厳寺の唐門は国宝です。都久夫須麻神社竜神拝所の宮崎鳥居に向かってからわけを投げる「かわらけ投げ」や、宝厳寺本堂の「弁天様の幸せ願いダルマ」などユニークな願掛けに人気があります。
〇竹生島宝厳寺は、神亀元年(724年)聖武天皇が、夢枕に立った天照皇大神より「江州の湖中に小島がある。その島は弁才天の聖地であるから、寺院を建立せよ。すれば、国家泰平、五穀豊穣、万民豊楽となるであろう」というお告げを受け、僧行基を勅使としてつかわし、堂塔を開基させたのが始まりです。行基は、早速弁才天像(当山では大弁才天と呼ぶ)をご本尊として本堂に安置。翌年には観音堂建立を発案しました。後年、その遺志を継いだ浅井の大領が千手千眼観世音菩薩像を安置しました。それ以来、天皇の行幸が続き、また伝教大師、弘法大師なども来島、修業されたと伝えられています。当山は、豊臣秀吉との関係も強く、多くの書状、多くの宝物が寄贈されています。慶長七年(1602年)には、太閤の遺命により、秀頼が豊国廟より桃山時代の代表的遺稿である観音堂や唐門などを移築させています。
〇「パワースポット」・・・竹生島には、日本三大弁才天の一つ「大弁才天」を安置する宝厳寺や、都久夫須麻神社(竹生島神社)があります。2020年5月に修復事業を終えた宝厳寺の国宝の「唐門」や重要文化財の「観音堂」、2000年に350年ぶりに復元された「三重塔」、都久夫須麻神社には伏見桃山城の移行と伝えられている国宝の「本殿」、諸願成就として人気のかわらけ投げができる「龍神拝所」など様々な建築物があります。宝厳寺本堂と観音堂、都久夫須麻神社では、御朱印が頂けます。都久夫須麻神社本殿の内部には桃山時代を代表する、優雅できらびやかな装飾が施されています。「龍神拝所」ではびわ湖に面した鳥居にかわらけを投げ、鳥居の間を通ると願いが叶うとされています。観音堂と都久夫須麻神社本殿をつなぐ「舟廊下」は全長30mで、豊臣秀吉の「日本丸」の一部が使われ、国の重要文化財に指定されています。宝厳寺の「唐門」は大坂城極楽橋の現存する唯一の遺構とも言われています。


〇都久夫須麻神社・・・都久夫須麻(竹生島)神社とは琵琶湖に浮かぶ竹生島に鎮座する都久夫須麻神社(つくぶすまじんじゃ/竹生島神社)。祭神は、市杵島比売命(いちきしまひめのみこと=弁財天)、宇賀福神(うがふくじん)、龍神(りゅうじん)、そして産土神の浅井比売命(あざいひめのみこと)の4柱です。浅井比売命は、浅井氏の氏神ともいわれ、琵琶湖の湖水を支配する神様です。今から450年前、豊臣秀頼の寄進で、片桐且元(かたぎりかつもと)を普請奉行として伏見桃山城の日暮御殿(勅使殿)を移築したものです。国宝となっています。平家物語にもでてくる拝殿からはかわらけ投げができます。
〇琵琶湖沖島・・・近江八幡市から琵琶湖の沖合約1.5㎞に浮かぶ沖島は、琵琶湖最大の島です。周囲約6.8㎞、面積約1.53k㎡で琵琶湖最大の島です。約250人の人が住んでいます。
湖沼の島に人が住む例は世界的にも少なく、学術的にも注目されています。市内への交通手段はもちろん船。通学、通勤用に定期便も運行されています。長命寺山や鈴鹿山系、比良山系の美しい眺望は、琵琶湖に浮かぶ島ならではのもの。ここでは、昔ながらの生活の知恵や豊かな自然が今も生きています。沖島の歴史は古く、延喜式内社として記されている奥津島神社の建立当時は、琵琶湖の航行の安全を守る神の島として崇拝される無人島だったといいます。伝承によれば、保元・平治の乱に敗れた清和源氏の流れを汲む武者が島を開拓し、定住したのが島の始まりと伝えられています。室町時代になると、足利義政により湖上の要衝として船舶の監視が沖島住民に命じられました。この足利義政は愛妾・今参の局を沖島に流罪とし、数日後、刺客を差し向けられた局は非業の死を遂げました。この出来事は、大佛次郎の小説「櫻子」でも知られています。文明年間には、琵琶湖の嵐を逃れた蓮如上人が沖島にたどり着きました。このときに遺された真筆「虎斑の名号」と「正信偈」は、島内の西福寺の寺宝として公開されています。
〇沖島は6万年前、近江盆地の陥没の際にできたといわれています。
沖島は奈良時代(713年)近江の国守であった藤原不比等(藤原鎌足の子)が現在の氏神様奥津島神社(祭神は福岡県玄海の孤島沖之島にある筑前宗像大社の女神の一人多紀理比売命)を建立したことに始まったそうです。沖島は神の島として湖上を行き交う舟人から航行の安全を祈願し崇拝されていました。*柿本人麻呂「淡海の海 沖つ島山奥まけて わが思う妹が言の繁けく」*紫式部「おいつしま 守りの神やいますらん 波もさわがぬわらわえの浦」。古くから沖島は、人の心をとらえていたようです。

〇奥津島神社、西福寺。
