昨年、念願だった奈良の「三輪山」に登拝させてもらったが、朝倉にも御神体を山とする神社が存在する。「邪馬台国=九州説」を唱えられる安本美典氏が甘木・朝倉地方を邪馬台国として比定される根拠はいくつかあるが、最も興味深い説に、甘木と朝倉(筑後川上流域)の地名が奈良(大和川上流域)の地名と良く似ているというものだ。下図の様な地名の一致は、甘木・朝倉に居住していた大集団が、のちに奈良へ移住した証拠だと安本氏は推理されておられる・・・「西暦三世紀の末、邪馬台国勢力の後を継ぐ者が機内へ入り、大和朝廷を開いたと考えるのである」。
〇自分が興味をもつのは、安本氏の指摘される地名の一致した箇所で、朝倉市筑前町に存在する大国主神を祀る「大己貴神社」だ。この神社は、古くは大神神社と呼ばれ、地元では大神様(おんがさま)と呼ばれて親しまれている。奈良の桜井市には、同じ読みの大神神社があり、その神社の御神体山が「三輪山」だ。是非とも朝倉の「大己貫神社」の御神体の山にも登ってみたいものだ。
〇筑後平野の甘木を中心とした地方には、奈良とそっくりの地名が点在しています。魏志倭人伝では、奴国の南方の方角に卑弥呼のいた邪馬台国があったとされています。まさに魏志の方角通りに指し示す先に、この甘木地方があります。その中心地には大三輪山があって、さらに大三輪社(現・大己貴神社)もあるのです。
崇神天皇までの御諸山(三輪山)が、実際にはこちらの山だった可能性があります。甘木では、平塚川添遺跡という弥生時代中期から古墳時代にかけて営まれていた、多重環濠集落遺跡が見つかっています。古事記の中で大国主の国造りの際、大物主が登場し、「倭の青垣の東の三諸山に奉れ」のようなことを言いますが、筑後平野は東の筑紫山地・西の背振山地・南の耳納山地に囲まれている地理的条件と合致しています。倭の東というのは、古代の倭国の中心地が、当初は北部九州だったことに繋がるかもしれないです。奈良の古地名は、邪馬台国遷都後も過去の記憶を引き継ぐために踏襲されたものという考え方も、あながち否定できないのではないでしょうか。
〇大己貴神社・・・福岡県筑前町(旧三輪町)弥永にある大己貴神社。我が国で最も古いといわれている神社のひとつです。神功皇后が新羅討伐の兵士を集めるために太刀・矛を奉納し願いを立てた、戦勝を祈願したという言い伝えがある古社。また、「邪馬台国=朝倉説」の重要な神社といえます。実は「福岡県筑前町弥永の大己貴神社付近」と「奈良県桜井市三輪の大神神社(おおみわじんじゃ)付近」の地名や地形も偶然とは思えないほど酷似しております。
〇「大己貫神社」の御神体山を歩くのと同時に、上図に掲載されている地点の「鷹取山」、「笠置山」、「鳥屋山」、「御笠山」も久しぶりに再度歩いて見よう。「御笠山」は宝満山だね。これらの山々は明確な登山ルートがあるけれど、「御神体山」には、山頂までの登山道が無い(笑)。以前に一度近所で作業をされていた地元の方に、山に登れないか尋ねたことがあるけど、最近は山が荒れてしまっているので登らない方が良いよと言われた・・・「神の領域」に接近するのは、困難で遠いね!!。一緒に歩いてくれる物好きな方がおられないかな(笑)。
