21日は「冬至」だったが、福岡市内は生憎の雨天で冷たい雨が降っていたので登山は休養日。22日は晴天予報となったので、四王寺山を「冬至」の御来光を眺めて周回。一旦自宅に帰り「高校駅伝」を観戦後に夕方は天拝山を歩くことにした。風は冷たかったが晴天で心地良いウォーキングデーだった。
いつもの岩屋城跡からでは無く、焼米ヶ原まで車で上がって大宰府市内の夜景と御来光を眺めることにした。

御来光は雲厚く完全には見えなかった。雲が厚い分、壮大な「天使の梯子」が出現した。

鮎返りの滝、百間石垣、大城山、毘沙門堂。
〇毘沙門堂・・・毘沙門堂は、大野城跡の最高所である大城山山頂のすぐ近くにあります。
ここでは、正月3日の早朝から「毘沙門参り」が行われます。毘沙門参りは、近隣から参拝のため登って来た人が、お堂の前に置かれたさい銭を借りて帰り、その翌年、前の年に借りた倍の額を返し、また新しくさい銭を借りて帰ることです。このお参りを繰り返すことで、1年間お金に不自由しないといわれています。このお参りは、江戸時代の終わりごろに始まったとされ、宇美町の民俗文化財に指定されています。毘沙門は仏教の四天王に由来する言葉です。大野城には、宝亀五年(774年)に四王院(四天王寺)が建てられ、毘沙門天・増長天・広目天・持国天が祀られていました。また、大野城跡のある山としてよく使われる四王寺山の名も、この四王院に関連するものです。毘沙門堂の近くで行われた発掘調査では、寺院に関する遺物が出土しています。では、毘沙門堂も古代の四王院と関連があるのか。また、毘沙門天を祀った四王院の建物がこの近くにあったのか。謎は深まるばかりです。

大城山山頂直下からの背振山方面の展望。

「創造の森」からの展望。コナラの紅葉が宝満山を飾る。

ヤブコウジ(十両)、カラタチバナ(百両)、昨年は実が付いていなかったが、今年は沢山付いていた。
〇カラタチバナ・・・カラタチバナは、サクラソウ科ヤブコウジ属の常緑小低木。葉は常緑で冬に赤い果実をつけ美しいので、鉢植えなど栽培もされる。同属のマンリョウ(万両)に対して、別名、百両(ヒャクリョウ)ともいう

昨年は12月末にセリバオウレンの開花を鑑賞したが、開花は年明けになるかな??。

まだまだ名残の紅葉が楽しめた。モミジ、ヤマハゼ、メタセコイア、ドウダンツツジ。

コシアブラ、ヤマブキ、タカノツメ、ヒサカキ。各種の黄葉が師走の山を飾る時期だね(ヒサカキは常緑)。

フユイチゴ、コクラン、ハルジオン、サザンカ。

〇冬至のかぼちゃ・・・かぼちゃは、体内でビタミンAに変わるカロテンや、ビタミンB1、B2、C、E、食物繊維をたっぷり含んだ緑黄色野菜。新鮮な野菜が少なくなる時期、これからの冬を乗り切るためにも、冬至という節目の日にかぼちゃを味わって栄養をつけよう…という先人の知恵なのです。ただ、江戸時代の文献には「冬至にかぼちゃ」という内容の記述はなく、明治以降に生まれた比較的新しい習慣と考えられています。

高校駅伝を鑑賞した後で、天拝山に登ることにした。100回目の天拝山登山となる。本格的に登山を始めたのが2009年だから、16年で100回だから大したことは無い(笑)。毎日のように、ラジオ体操や猫の餌配りに通って来られる方々は凄いね。256mの低山だけど、筑紫野市民愛好の山で歴史溢れる山だ。足が立って歩ける限り通わせてもらうことにしよう。しかし大牟田高校は残念だったね!!。
〇天拝山・・・「西の都」の南に所在する標高258mの低山で、『北野天神縁起』に菅原道真が無実を訴えるため山に登り「天道」に向かって祈ったという伝承がみえ、宗祇の『筑紫道記』(文明年間〔1469~1486年〕)ではその地を天拝山としました。中国の南郊祭祀(冬至に天子自ら都城南郊で天を祀る祭祀)を想起させる伝承で、大宰府近郊では重要な山と認識されていた可能性があります。

アリドオシ(一両)、ヤブコウジ(十両)、センリョウ(千両)、マンリョウ(万両)。四王寺山と天拝山ではツルシキミ(億両)が見つからない。宝満山に登ればツルシキミは腐る程あるが、二つの山を歩いた後で、宝満山まで歩く元気は無い(笑)。

昨年のブログを見ると、四王寺山でもかなりの積雪があったんだね。21日の雨は、山では雪だったんだね。四王寺山でもほんの僅かな残雪があったけど、宝満山ではかなり積雪していたみたいだから、21日は宝満山を歩けば良かったね。
*下記の写真は、昨年22日に雪の四王寺山~大宰府天満宮まで歩いた時の、焼米ヶ原の雪景色。
