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そうだ!山に登ろう

登ってきました!あの山この山!

宇佐神宮=卑弥呼の墓説を追って(宇佐~国東周回)。

24日は宇佐まで走った。21日に箸墓古墳を観光バスの中から見たが、卑弥呼の時代に、あんな大きな古墳を造るのは難しいのではないかと思った。魏志倭人伝の中での、卑弥呼の墓についての記述に、「卑弥呼以って死す。冢を大きく作る。径百余歩。徇葬する者、奴婢百余人」と書かれている。宇佐神宮の付近には、「百体神社」と言う小さな神社があるそうで、卑弥呼に殉死した「徇葬する者、奴婢百余人」の語句に何やら関係しそうな感もある。百体神社周辺の風に吹かれに、早朝暗いうちから宇佐へと走った。百体神社の近くには「凶首塚古墳」と言う古墳もあった。174日。

〇百体神社・・・宇佐神宮の境内には、「百体神社」という小さな神社があります。720年、九州南部に住む隼人(ハヤト)という民族が大和朝廷に反乱を起こしました。最終的に隼人は敗北したのですが、このとき八幡神も戦いに参加し、宇佐の地にはその隼人の首が100体埋められているという伝説が残されています。その100体の魂を慰霊するために建てられたのが、百体神社です。「八幡神が戦った」という記述は神話的ですが、「100人の死体が埋まっている」という伝説が古くからあったのはたしかなのでしょう。さらに百体神社の近くからは、棺有槨無に一致する「甕棺」が数回にわたり、いくつも出土しているのです。これこそ卑弥呼と一緒に埋められた奴婢100体の棺ではないでしょうか。
〇凶首塚古墳・・・6世紀後半から7世紀初頭に造られた古代の巨石墳。その時代には、このような建造物が貴族や豪族の長、その他の有力者の墓として造られていた。凶首塚古墳は、宇佐地域の豪族の長の墓であったという説があるが、実際に誰が埋葬されていたのかは分かっていない。凶首塚古墳は当初、直径約15メートルの丸い古墳であったとされ、宇佐盆地を臨む台地上に造られた。古墳を覆っていたはずの盛土は、かなり昔から侵食されており、遺体を安置する玄室と呼ばれる石室部しか残っていない。この横穴式の石室は、高さ約2メートル、幅1.8メートル、厚さ0.4メートルの4つの巨石で造られている。
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宇佐神宮に参拝。高さ10メートルの「太鼓橋前大鳥居」が新設され、23日は関係者がくぐり初めを行い、完成を祝ったそうだ。
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〇本殿からの御許山の展望・・・宇佐神宮から南6km余にそびえるこの山には、山頂に宇佐神宮の奥宮である大元神社(おおもとじんじゃ)が鎮座する。標高は647m。大元山・馬城峰とも称され、神代に比売大神が降臨になった神域とされている。『宇佐八幡弥勒寺建立縁起』には、「八幡大神は欽明天皇の時代に宇佐の馬城峰に降り立った」と記されており、八幡大神がはじめて姿を現した場所ともされている。かつては、霊山寺をはじめとする大元六坊と呼ばれる6つの坊寺が置かれ、六郷満山の元山として隆盛を極めた。
〇宇佐神宮の主祭神・・・「二之御殿=比売大神」が本当の主神に思えます。しかも『宇佐神宮御由緒記』によれば、比売大神は宇佐の土着神であり、八幡大神よりも古い時代から信仰されてきた神だというのです。応神天皇はもともと八幡神とは無関係なのですから、応神天皇の妻や妹、娘が比売大神の正体であるわけがありません。また宗像の神である宗像三女神が、八幡大神より格上で祀られているのもまたありえないでしょう。ですが、この比売大神に相応しい女神(女性)が1柱(1人)だけいます。それが天皇家の先祖神(皇祖神)である「天照大御神」であり、そして天照大御神のモデルとなった邪馬台国の女王「卑弥呼」です。
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〇弥勒寺跡・・・宇佐宮関係の史料によると、神亀2(725)年に宇佐宮を現在の小倉山に移した際、東方の日足の地に弥勒禅院を建立しています。そして、天平9(737)年には宇佐宮社殿の西に移し、天平10(738)年に金堂・講堂を建立しました。この事業には聖武天皇の大きな援助がありました。初代の別当(長官)には虚空蔵寺の法蓮がなったとも伝えています。以後、弥勒寺は宇佐宮とともに、神仏習合の輝かしい歴史を続けることになります。

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〇神武天皇碑・・・奈良時代に編纂された日本最古の歴史書である日本書紀・古事記によりますと、紀元前660年、日向の国を出発した神武東遷の一行は大和の国に向かう途中、最初に宇佐に立ち寄り、菟狭津彦、菟狭津媛が足一騰宮を造って「おもてなし」したとされています。宇佐市内には三カ所に伝承があります。一つ目は宇佐神宮の「騰隈」。表参道に通じる神橋外側には神武天皇聖蹟(天皇がお立ち寄りになったところ)を顕彰する碑があります。二つ目は「妻垣神社」。安心院盆地の美しさに感動した神武天皇が母であるタマヨリヒメの魂を呼び寄せると、山中の巨石に降臨したとされています。妻垣神社は巨石を上宮、社殿を下宮としています。三つ目は和尚山麓の「花立池湖畔」。神武天皇遥拝所並びに足一騰宮旧跡という二つの石碑が対になって建てられています。
〇下宮・・・上宮と下宮、この宇佐神宮を代表する2つの大きな神域は古来より、上宮は国家の神として、下宮は民衆の神として、皇室をはじめ国民より篤い崇敬を集めてきた。一説では、かつて上宮は身分の高い者しか参拝できなかったため下宮が庶民の参拝する場所となり、このような違いが生まれた言われている。このように同じ神様を祀る社が2つある神社は、全国でも珍しい。下宮は上宮と同様に、焼失や式年造営(定期的な建て替え)で、繰り返し建立されてきたが、現在の社殿は1817~1826年に再建され、昭和大造営にともない昭和14年(1939)に改修された。現在は、主に神職により日常の祭祀が行われる場所となっている。
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富貴寺は、観光の予定には入れていなかったけど、走っている途中で標識を見かけて参拝。丁度紅葉が綺麗な時期だったのでラッキーだった。
〇富貴寺・・・富貴寺は平安時代に宇佐神宮大宮司の氏寺として開かれた由緒ある寺院です。中でも阿弥陀堂(いわゆる富貴寺大堂)は、宇治平等院鳳凰堂、平泉中尊寺金色堂と並ぶ日本三阿弥陀堂のひとつに数えられ、現存する九州最古の木造建築物であり、国宝指定されています。
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「田染の里、三の宮の景」・・・車道の横の標識を見て停車してパチリ。
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今回の目的の花、イワレンゲ。ゲンカイイワレンゲは門司港で毎年鑑賞しているが、「イワレンゲ」の鑑賞は初めてだった。大半花は終わっていたが、僅かに三株だけがかろうじて花を鑑賞することが出来た。
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イワレンゲを鑑賞の後は、温泉で休憩後に真玉海岸で夕陽を眺める予定だったが、その前に「真木大堂」に参拝することにした。一突き百円の鐘を力一杯突かせてもらった。
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堂内は撮影禁止。ネット上より許可無く画像を拝借しています。
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〇旧本堂・・・永い間仏像を安置してあった真木大堂旧堂で江戸時代のものとされています。本尊他仏像は収蔵庫に移されていますが、正面には国東半島では極めて珍しい木造の仁王像が今もお堂をお守りしています。 仁王像の肩越しの朱塗りの扉には皇室の御紋章があります。これは、今から約700年前六郷満山寺院に対して鎌倉幕府から蒙古来襲の折に異国降伏の祈祷を行うよう指示があり、国難を救うため馬城山伝乗寺では長期にわたり異国降伏の大祈祷が行われました。 そのおかげをもち元を退けた恩賞として弘安8年10月16日に将軍家を経て朝廷より菊花の紋章が下賜されたと伝えられます。
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裏山からの国東の名だたる山々の展望。
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裏山の途中にある「六所権現」。標識が朽ちて倒れていた。せっかくの名所なのに、どうにかすれば良いものを。紅葉が綺麗だった。
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ラストは真玉海岸で夕陽を眺めた。干潮では無く、海に落ちる夕陽でも無かったのでがっかり。海老天丼を食べて夕陽を眺めた。翌日は、八山会が田原山に来られるので、連絡して参加させてもらう予定だったが、翌日の天気予報は、風強く寒そうだったので、一直線に福岡へと帰宅した。パワーが無くなって来たね(笑)。
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by kabuto1952 | 2023-11-27 05:06 | 歴史散策 | Trackback
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