31日は、春の気配を感じに大宰府周辺を梅見をウォーキングすることにした。目的の海の花は、隈公墓地の「六弁の梅」と大宰府天満宮の「飛梅」を鑑賞することだったが、咲き始めの「六弁の梅」は鑑賞出来たが、「飛梅」はまたしても蕾の状態のままだった。
観世音寺(8:20)~榎社~王城神社~隈公墓地~高雄山登山口~石穴神社~大宰府天満宮~観世音寺(11:32)。歩行距離11.0km。11日目。
観世音寺駐車場を出発して、まずは住宅街の中にある榎社に参拝。
榎社・・・
菅原道真が、901年に大宰府に左遷されてから、903年に逝去されるまで謫居された跡で、当時、府の南館であったと言われる。1023年に菅公の霊を弔うために浄妙院を建立したのが始まりで、境内に榎の大樹があったので「榎寺」と呼ばれるようになり、現在は「榎社」と呼ばれている。毎年9月太宰府天満宮の神幸式大祭(通称「どんかん祭り」)では、菅公の御神霊はここに神幸され、一夜過ごされて翌日天満宮本殿に遷御される。
榎社の後は、王城神社に参拝。
王城神社・・・「王城(おうぎ)神社」は、太宰府市通古賀区にある神社で、大国主命(おおくにぬしのみこと)の子で“えびす様”としても親しまれている事代主命(ことしろぬしのみこと)をお祀りしています。「王城神社縁起」によれば、神武天皇が事代主を祀ったことが起源となり、665年以降、王城山(四王寺山)の神である“王城大明神”と崇め奉られたと伝わっています。住宅地の中にひっそりと佇む小さな王城神社ですが、実はとても歴史が古く、由緒ある神社なのです!明治5年には旧水城村の村社に定められ、九州で最も古いえびす様として親しまれています。
「隈麻呂公の墓地」の六弁の梅が開花していました。
「隈麻呂公の墓地」・・・大宰府に左遷された道真は、隈麻呂と紅姫という二人の子を連れていました。府の南館の生活は不自由で苦しいものでしたが、愛らしい幼児二人が道真の唯一の心の支えであったと伝えられています。しかし、過酷な生活の中で、左遷の翌年、隈麻呂は病にかかり急逝しました。榎社の東側、納骨堂の建つ小高い丘の上に、「隈麿之奥都城」とされる墓と六弁の花をつける梅の古木があります。また、隈麻呂の姉、紅姫のその後は定かではありません。一説には隈麻呂に次いで翌年道真も亡くなったので、土佐に流された道真の長男高視の元に向かったといわれています。榎社の社殿裏には「紅姫の供養塔」と言われる地蔵石像が、「隈麻呂の墓」から東へ徒歩4〜5分の所にも、同じく「紅姫の供養塔」といわれる板碑があります。その板碑には梵字が刻まれています。
「梅一輪一輪ほどの暖かさ」・・・もう直ぐ春ですね!!。
御笠川の下流は、かって「恩川」と呼ばれていたんですね。知りませんでした。
「六弁の梅」を鑑賞した後は、「高雄山」を目指しました。146mの低山ですが、三角点もあります。以前(2017/2/19)に登ったことのある山で、1月の最終登山予定地でした(笑)。登山口に「イノシシ出没注意」の標識がありましたので、どうしようか躊躇していると、通りがかった近所の方が、最近はイノシシの出没が増えて危険になっているので、山には絶対に入らない方が良いと忠告されました。その方が市に依頼して標識を掲示してもらったそうです。結局登山は諦めて退却することにしました。
下記写真は、2017年に登った時のものです。
高雄山登山は諦めて、近くの石穴稲荷神社に参拝しました。祐徳稲荷、大根地稲荷に並ぶ九州三大稲荷だそうです。
石穴稲荷神社・・・この石穴稲荷神社は自然の中にある神社で独特の雰囲気があります。(イザナギ・イザナミの間に生まれ農耕神でお稲荷さんと呼ばれ京都伏見稲荷の主祭神)。由緒:京都伏見稲荷からの分霊か、菅原道真公が太宰府に下られた際道真公をお守りして京都から一緒に来られたお神様とする伝説が有力。関係史料等ほとんど消失し詳細不明。しかし、幽玄な奥の院の磐座(いわくら)信仰の形態から、更に古い年代よりこの地で神祀りが行われていたであろうとする方々も多く、古代の息吹を感じることのできる貴重な
神奈備之美志処(かんなびのうましところ、神の住居と見たてての崇拝)として近年注目されています。
大宰府天満宮の「飛梅」は数厘は開花しているのではないかと思っていましたが、まだまだ蕾の状態でした。
休日故に大勢の参拝客で列が出来ていました。「密」は危険ですね!!。境内のロウバイと紅梅が開花していました。
「花より団子」です。美味しくいただきました。
「麒麟がくる」もいよいよラストになって来ましたね。大いに楽しませてもらいました。