平原遺跡&吉武高木遺跡&須玖岡本遺跡散策。
2019年 11月 01日
*東遷説は、東遷が卑弥呼の時代(239~247)以前になされたか、以後になされたか、によって二つに分かれる。
卑弥呼の時代以前・・・大和説に立ち、九州から出発した「神武の東征」によって邪馬台国が打ち立てられたとする。和辻哲郎・中山平次郎・原田大六氏らがこの立場である。
卑弥呼の時代以後・・・九州説に立ち、いわゆる「邪馬台国東遷説」である。これは卑弥呼あるいは壱与の死後、邪馬台国が東遷して大和朝廷を打ち立てたとするもので、考古学者の森浩一氏など邪馬台国=九州説の多くこの立場である。
I氏は大和説で、私は勿論九州説(そうでありたいと思っている)。
平原遺跡公園のコスモスの花はピークを過ぎてはいましたが、まだまだ艶やかな状態を保って風になびいていました。10月20日のご来光は三俣山で眺めてしまいましたが、やはりこの地で眺めべきでしたかね(笑)。