秋雨前線長期停滞と言ったところですかね(笑)。九州内・中四国・信州の週間天気予報を見比べて、試行錯誤の毎日です(笑)。「毎日が日曜日」の生活ですと、旅行の計画もつい長目に考えてしまいますので、天気予報に「お日様マーク」が綺麗に揃ってこないとなかなかスタートが切れません。今日も生憎の雨曜日・月曜日でしたので、図書館や歴史資料館は休館日ですので、近くの史跡を傘をさして散歩してきました。
日拝塚古墳には初めて行きました・・・春日市下白水南地区の住宅街の一角にある「日拝塚古墳」は、6世紀前半(古墳時代)に造られたとされる前方後円墳。お彼岸の時期に東方にある大根地山から登る朝日を望めることからこの名前が付いたと言われています。墳丘は残っているものだけでも長さ55メートルと巨大で、埋葬形態は花崗岩の巨石を用いた単室の横穴式石室(事前連絡で見学可)となっています。昭和4年に盗掘されたようですが、当時の村民の誠意が実って大部分が回収されたほか、それら獣形鏡や玉類、金環、武器、馬具、須恵器などの出土品は現在東京国立博物館(一部は奴国の丘歴史資料館)に所蔵されています。なお、お墓は当時この地域を治めていた有力者のものと考えられ、歴史的な価値から現在は国の史跡に指定されています。

古墳の位置は、山登りをする者にとっては嬉しい現象がありますよね。この古墳もお彼岸には大根地山に昇る朝日が拝めるように配置されているそうです。平原古墳もお彼岸の時期に、日向峠に昇るご来光に向けて造られていました。早くお彼岸が来ないかな(笑)。

須久岡本遺跡の周辺部も歩きました・・・。国指定の須玖岡本遺跡からは、昭和54年〜55年の発掘調査で、弥生時代中期の甕棺墓116基、土壙墓(どこうぼ)・木棺墓(もっかんぼ)9基と、これに伴う祭祀(さいし)遺構が確認されています.。埋葬遺構は300基以上に及んでいたと推定され、古代のクニの中心だったことが判明しています。墓地の北端部に位置する覆屋A棟では、弥生時代中期中頃(紀元前1世紀)の甕棺墓群の一部と祭祀遺構が見学できます。墓地の西端部に位置する覆屋B棟では、弥生時代中期後半(紀元前後)の甕棺墓、土壙墓、木棺墓、竪穴(たてあな)遺構が見学できます。4トンの重さの王墓上石は、明治32年に発見された甕棺墓(王墓)の上石で、平成10年、現在地に移設されたもの。魏志倭人伝には「官曰兜馬觚 副曰卑奴母離 有二萬餘戸」と記されています。これを現代語に訳せば、「長官を兕馬觚(じまこ、じばこ)といい、副官は卑奴母離(ひなもり)という。2万余戸がある」となります。
オオバヤドリギ(春日市指定天然記念物)の花の開花を楽しみにしています。もう少し時間がかかりますね。
熊野神社(祭神・・イザナギノミコト・イザナミノミコト)境内から見下ろす北側の一帯が須久岡本遺跡です。この地に渡来人が入国し「国生み」の基礎となる」技術・文化の伝承があったのです。「記紀」に記された、「国生み神話」・「天孫降臨」・「神武東征」等の神話は、全てが北部九州に実在した史実を神話化したものなのですね。「国譲り神話」の地を早く訪問したいものです。神社の傍にヤマブキが咲き始めていました。「
七重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞ悲しき」。