山口県の山(白滝山、崋山)登山と角島海岸花散策・・・その2
2016年 11月 14日
中山神社(9:15)~四恩寺跡(9:45)~古堂橋(10:35/10:45)~白滝(11:30)~山頂(12:05)~舗装路~中山神社(13:50)。9.9km。
討幕派の盟主の中山忠光を祀る中山神社に駐車して四恩寺跡を目指しました。山頂まで車で行ける山ですが、今日はゴルジュを登り上がりたいと思っていましたので、私の主義に反してのスタートでした。

四恩寺跡から古堂橋までは荒れた不明頂な登山路でした。古堂橋付近にある駐車場まで車で行けば良かったと後悔しました。

古堂橋まで到着しました。車が一台停まっていました。中山神社から此処まで1時間20分もかかっていました。荒れた登山道でしたので、此処まで車で上がれば良かったです。この車は下山時にもありましたので、私が歩いたゴルジュコースではなくて観音岩コースを歩かれたのかも知れませんね。

古堂橋で小休憩後にゴルジュに向けて登り上がりました。大勢で登るなら楽しいのでしょうが、単独では心細くなるなかなか厳しい峡谷道でした。下山では絶対に使用したくないルートだと思いました(笑)。

下記の岩場に到達した時は悩みました。一度左側の岩を登り上がり、その上の岩に登り上がろうとしましたら、捕まえる場所がなく、滑って危うく滑落しそうになりました。

上記の写真の場所でしばし通行を悩んだのは、岩の間に滝の水が流れ込んで大きな水溜まりが出来ていたんですよね(笑)。水深は膝くらいまでありそうですし立ち幅跳びでは難しい距離です。止む無くズボンを脱いでパンツ姿になろうかと考えましたが、スタイリストの私にとりましては、たとえ誰もいない山中であれ許せない哀れな姿です(笑)。結局どうして渡ったかと言いますと、右手でロープを引っ張り、左手で岩の隙間をつかんでぶら下がり、右脚を最大限に伸ばして岩の下部に入れ対岸に飛び移りました。天与の長い脚と極めて高度なクライミング技術がないとこなせない難所でしたね(笑)。

岩場を登り上がってホッとしました。難路はまだ続きます。

峡谷の最後で白滝に出会いました。「山口県の山」には「小ぶりで上品な滝と滝壺が空間を神秘的に盛り上げ、滝坪にはアブラヤハヤが泳いでいる」と紹介されています。何度も見ましたが、魚の姿は目撃出来ませんでした。

滝の左斜面を登り上がり、平坦地にでました。これでゴルジュは通過しました。ヤレヤレの心境でした。

林道白滝線に出ました。此処から山頂までは侵入禁止路になっていまして、山頂に向かうには林道を越えて自然路に入ります。

三等三角点のある白滝山山頂に到達しました。周囲の展望はほとんどありませんでした

下山路は「山口県の山」では「ぬたが迫道」を紹介していますが、迷う事無く車道を歩くことにしました(笑)。中山神社までの二時間近い舗装路は歩くにしんどかったです。大金峰・小金峰以来舗装路歩きが続きます(笑)。

神社近くの里に到着した時は嬉しかったです。この後華山(713m)に向かいましたが、白滝山登山が予定以上の時間がかかったのと、道の駅で食事休憩をしましたので、華山は山頂まで車で登ることにしました。

華山は、朝鮮遠征の途上で倒れた仲哀天皇の伝説の秀峰で、西の高野と称される神上寺登山口から登れば一時間半程度の山でしたので、主義に反して登山路を歩きたいと思っていましたが、ゲンカイイワレンゲまで鑑賞することを欲張っていましたので、車で山頂まで登ることにしました。

二等三角点の華山山頂です。下山後は神上寺に立ち寄りましてゲンカイイワレンゲの鑑賞は後日にすることにしました。

崋山から下山後は登山口の神上寺に立ち寄りました。「神上寺は役小角によって華山(げさん)に開かれたという山岳霊場で、776(宝亀7)年に山の中程に御堂が建立されたという。1332(元弘2)年に後醍醐天皇の命で御堂が麓に近い現在地に移されたので、下山(華山)と称されるようになった。同寺は朝廷・諸将・藩主などからの祈願所とされた大寺で、最盛期には12坊が連なり「西の高野山」とも呼ばれていたが、2度の大火に遭遇したこともあり、今は中ノ坊だけが残されている。寺宝に絹本着色仁王経(にんのうぎょう)曼陀羅図(国重文)などがある。」

神上寺の山門をくぐって苔むした石段を登り上がると崋山への登山口があります。神上寺は紅葉のスポットとしても有名ですが、境内の紅葉は始まったばかりでした。

山門前に近松門左衛門生誕碑がありました。各地の山に登ることによって、色んな歴史ある史跡にも巡り会うことが出来ます。色んな知識が得られて有難いことです。帰路にてゲンカイイワレンゲの鑑賞をする予定でしたが、夕方になりましたので、一旦福岡に帰り翌日は平戸にチョウセンノギクやイトラッキョウの鑑賞に向かうことにしました。


