そうだ!山に登ろう
2024-03-19T08:26:46+09:00
kabuto1952
登ってきました!あの山この山!
Excite Blog
九重山霧氷鑑賞登山&花散歩。
http://kabuto1952.exblog.jp/33902859/
2024-03-18T16:56:00+09:00
2024-03-19T08:26:46+09:00
2024-03-18T16:56:01+09:00
kabuto1952
九重連山
雪化粧のマンサクが青空に映えて綺麗だった。
泥田が嫌で今日も霧氷を眺めただけで、沓掛山を往復した。
ユキワリイチゲ。
アズマイチゲ。
ヤママユガ。
ハルトラノオ。
シロバナネコノメソウ。
トウゴクサバノオ。
カテンソウ。
ネコノメソウ。
ツクシショウジョウバカマ。
カタクリ。
ミズバショウ。
福寿草。
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四王寺山&昭和の森花散歩。
http://kabuto1952.exblog.jp/33900899/
2024-03-17T07:28:00+09:00
2024-03-17T22:26:09+09:00
2024-03-17T05:06:27+09:00
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四王寺山
岩屋城址で御来光を眺めた。春はあけぼの・・・綺麗で穏やかな御来光がゆっくりと昇って来た。丁度ラジオ体操が始った時間で、何時もは天拝山でラジオ体操をされているグループの方が数名おられて、一緒に御来光を眺めることになった。
岩屋城址の桜が、宝満山の展望を飾るのは月末になるかな。月末は鹿児島か広島にいる予定だが・・・。
岩屋城址で見かけた花々。ウグイスカグラ、タチツボスミレ、ツルニチソウ、ワラビ。
焼米ケ原の桜も開花体制。焼米ケ原全域でイノシシ被害が拡大して、桜の木の根元まで激しく掘り起こされていた。
セリバオウレンの花が僅かに一株だけ咲き残っていた。今年は、三か月の長きに渡って楽しませてくれた。ムラサキケマン、ヒメオドリコソウ。
周回路の大半で目立った山野草は無かった・・・当たり前だが(笑)。
クロガネ城門跡。
〇クロガネ城門跡・・・クロガネ岩城門は、野外音楽堂のすぐ北側に位置します。百間石垣に下る道の左手にある土塁上を5分ほど進むと、土塁が切れた部分があります。数年前、この下の斜面に門の礎石が転がっているのが見つかり、これまで知られていなかった城門があるのではないかと言われていました。その内容を明らかにするため、九州歴史資料館が平成24年に発掘調査を行いました。発掘調査では、両側に石積みが見つかり、城門があることが分かりました。石積みは門の側壁と考えられ、高さは1.4から1.5メートル、幅は約4.3メートルです。8世紀後半から9世紀初頭の土器が出土したことから、このころまで城門は使われていたと考えられています。また、江戸時代に描かれた『太宰府旧跡全図北』には「クロカ子(ね)岩 門ノ石スエ」とあり、発掘調査が行われた場所と一致すると考えられています。このことから、見つかった新たな城門に「クロガネ岩城門」と名前がつけられました。
野外音楽堂の河津桜は終焉。登山路の十両、百両はまだ健在だった。
四王寺山から昭和の森へと向かい、ツキ谷周辺の山野草散策をした。植栽の物だが、ミツバツツジが開花していた。
イイギリ、ヤシャブシ、シロバイ、ヒサカキ。
コショウノキ、サツマイナモリ、イズセンリョウ、ナガバモミジイチゴ。
我が家から歩いて3分、走っても3分(笑)の場所に「桜並木駅」がオープンした。春日駅と雑餉隈駅の間にもう一つ駅が出来るなんて無駄ではないかと思うが、当初の計画では、福岡市と西鉄がタイアップして雑餉隈周辺の地域を再開発する計画があったのを、地元商店街の反対で、計画が縮小して西鉄だけの再開発計画になったと新聞に記事が掲載されていた。全くつまらない反対運動をしたもんだね。
新駅のオープン日なので、午後からは電車に乗って天拝山登山に向かうことにした。疲労感極まりなく、西鉄二日市駅から天拝山登山口までの距離を歩くのがとても辛く感じて、途中で「博多湯」で休養することにした。温泉に浸り、休憩室で寝込んだら動くのがとても辛くなり、天拝山には向かわずに帰宅することにした。帰路の電車は歩く距離の短いJRを利用した(笑)。心配に案る程の疲労を感じたので、明日からの体調変化がとても怖くなったが、翌日に一日中寝込んでいたら、何とか体調も回復して来た。無理の出来ない体になってしまったみたいだ。歳はとりたくないね!!。
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大宰府周辺春散歩。
http://kabuto1952.exblog.jp/33898206/
2024-03-15T22:50:00+09:00
2024-03-15T23:50:38+09:00
2024-03-15T22:25:21+09:00
kabuto1952
大宰府散歩道の四季
政庁跡の環濠では、コサギが餌を漁っていた。
ミツガシワが早くも開花を始めていた。
ノジスミレ、ナズナ、ヒメウズ、キュウリグサ。
セイヨウタンポポ、カラスノエンドウ、キランソウ、スノーフレーク。
ウマノアシガタ、シロバナタンポポ、ムラサキゴケ、オランダミミナグサ。
ユキヤナギ、イロハモミジの若葉。
カンヒザクラ、ヨシノツツジ。
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「富雄丸山古墳」で貴重な発見!。
http://kabuto1952.exblog.jp/33897109/
2024-03-15T13:10:00+09:00
2024-03-15T13:10:35+09:00
2024-03-15T05:38:52+09:00
kabuto1952
歴史散策
〇下記の写真のそれぞれは、ネット上から許可無くいただいたものです。
〇ヤマト王権との関係指摘される「三角縁神獣鏡」か…奈良・富雄丸山古墳から青銅鏡出土。国内最大の鉄剣と国内初の盾形銅鏡が出土した奈良市の富雄丸山古墳(4世紀後半)で、未盗掘の木棺の中から青銅鏡3枚や髪に付ける竪櫛(たてぐし)9点が見つかり、市教育委員会が13日、発表した。青銅鏡の1枚はヤマト王権との関係が指摘される「三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)」の可能性があるという。同古墳は国内最大の円墳(直径約109メートル)で、2022年には、蛇のようにうねった「蛇行剣」(長さ2・37メートル)と盾形銅鏡(長さ64センチ)が未盗掘の木棺の上から出土。昨年12月から市教委が木棺を覆う粘土を取り除いて調べていた。木棺は長さ約5・6メートル、最大幅約70センチ。内部は2枚の仕切り板で3分割され、被葬者を納める中央の主室(長さ約2・4メートル)の底には赤色顔料「水銀朱」が広がっていた。漆を塗った竹製の竪櫛(長さ約14センチ、幅約2センチ)が9点見つかったが、人骨は残っていなかった。木棺端の副室(長さ約1・3メートル)では、青銅鏡(直径約20センチ)が鏡面を上にして3枚重なっていた。まだ取り出しておらず、背面の模様は不明だが、1枚は大きさや縁の形状が三角縁神獣鏡に似ているという。〇3枚の鏡が納められていたひつぎが見つかったのは、円い形をした富雄丸山古墳の北東側に四角く突き出た「造り出し」と呼ばれる場所です。富雄丸山古墳には、頂上部にメインの埋葬施設があり、奈良県天理市の天理参考館には、明治時代にこの場所から出土したと伝えられている「三角縁神獣鏡」が収蔵されています。古墳時代の鏡に詳しい大阪大学の福永伸哉 教授は、頂上部より格の下がる「造り出し」からも大型の鏡が3枚も見つかるのは珍しいとした上で、「古墳の頂上部に埋葬された人物はヤマト王権の中で極めて高い地位にあったことを反映しているのではないか」と分析しています。また、今回の鏡が納められていた木のひつぎに埋葬された人物については、ひつぎの周辺で、▼東アジアで最も長いとされる鉄の剣や▼盾の形をした鏡が見つかっていることを踏まえて、「頂上部の被葬者の活動を支えた腹心といえるような立場の人物だったのではないか。だからこそ頂上部の被葬者が持っていた超一級の宝物の一部を分けてもらい、副葬したと推測できる」と話しています。
〇富雄丸山古墳が造られたとされる古墳時代の4世紀後半は、歴史書に日本の記録が残されていない「空白の4世紀」と呼ばれる謎に包まれた時代です。この時代、鏡は権力の象徴としてヤマト王権から各地の有力者に分配されたとみられていて、鏡の時期や種類を明らかにできれば、王権との結びつきの強さなど、政治的な関係も推測することができます。今回見つかった3枚の鏡は重なった状態となっていて、文様が施された背面はまだ確認できていませんが、奈良市教育委員会によりますと1番上の鏡は縁の部分の形状から、「三角縁神獣鏡」の可能性があるということです。
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若杉山春散歩。
http://kabuto1952.exblog.jp/33895433/
2024-03-14T21:53:00+09:00
2024-03-15T08:38:57+09:00
2024-03-14T21:53:56+09:00
kabuto1952
若杉山
若杉山への車道沿いではカンヒザクラが満開で綺麗だった。
この時期の若杉山山麓で、希少種の花と言えばヒメフタバランだが、開花している株はほんの少数だった。見頃は来週の後半くらいかな?。
ツクシショウジョウバカマ、サツマイナモリ、ニワトコ、ナガバモミジイチゴ。
善通寺に参拝して境内を歩いてみた。
ミツマタ、シキミ、沈丁花、枝垂れ梅。
アカバナミツマタ、諸葛菜、日向ミズキ、フキノトウ。
38番霊場(丸尾観音堂)のウンナンオウバイはようやく開花が始ったところだった。車道のサラサモクレンは満開で綺麗だった。
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井原山(水無渓谷)春散歩。
http://kabuto1952.exblog.jp/33894263/
2024-03-13T22:35:00+09:00
2024-03-13T23:06:50+09:00
2024-03-13T22:35:26+09:00
kabuto1952
背振山系の山々
平日故か水無渓谷で花鑑賞をされておられる方々は少数だった。その中で知り合いが六人もおられたのにはビックリした。
キバナアマナ、ツクシショウジョウバカマ、トウゴクサバノオ、イワボタン。
ユリワサビ、ホソバナコバイモ、フキノトウ、コガネネコノメソウ。
ニリンソウ、タチネコノメソウ、ヤマネコノメソウ、ヤマルリソウ。
イワネコノメソウ、コチャルメルソウ、ヤマアイ、タチツボスミレ。
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岩屋神社&英彦山花散歩。
http://kabuto1952.exblog.jp/33888028/
2024-03-11T05:22:00+09:00
2024-03-12T07:44:04+09:00
2024-03-11T03:13:09+09:00
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英彦山
英彦山の早春の花案内は、昨年オオヤマレンゲを案内した時に、ミスミソウの案内を約束していたのと、先月に英彦山のセリバオウレンを観たいとの依頼があったのとが一緒になって、2日と10日に分かれて花案内をすることになった。今回は、ミスミソウは満開状態で綺麗に咲いていた。
〇ミスミソウ・・・ミスミソウ(雪割草)は日本原産の多年草で、主に雪が積もる地域に自生しています。春を告げる花として知られ、早春に他の花よりいち早く開花します。国内最大の自生地、新潟県では「県の草花」として指定されています。
セリバオウレンは、前回の鑑賞時にピークを過ぎたと思っていたが、今回は違う場所から沢山の花が開花していた。今がよりピークの感もあった(笑)。ホソバナコバイモは前回同様の開花ぶりだった。
深倉峡散策。
イワネコノメ、ツクシショウジョウバカマ、アケボノシュスラン、タマゴケ。
岩屋神社の奇岩巡り。五百羅漢から本殿へと階段を登り上がる。結構きつい(笑)。
〇岩屋神社本殿・・・元禄11年(1698年)に福岡藩4代藩主黒田綱政によって建立されました。外殿は「権現岩」と呼ばれる切り立った大岩のくぼみを利用して造られ、背面と左側面には屋根と壁が造られていません。彦山修験道に関係する貴重な建造物として、昭和63年(1988年)に国重要文化財に指定されています。記録によると、欽明天皇8年(547年)のある日、突然、光輝くものが天から岩屋の岩上に降ってきたので、村人はこれを「何でも願いが叶う宝石」という仏教用語にちなんで「宝珠石」と名付け、ご神体として祀りました。英彦山権現と同じく、伊弉冉尊(いざなみのみこと)、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)の三神をご祭神としています。宝珠とは仏の象徴を示す仏教用語で、願いが叶う不思議な玉の意味です。見ると目がつぶれると言われ、いまだに見た者はいないとか
「針の耳」、「梵字岩」、「熊野神社」。
〇熊野神社・・・岩屋神社一帯は「宝珠岩屋」と呼ばれる奇岩群(福岡県の天然記念物)で、岩屋神社本殿のある権現岩の西に隣接する熊野岩の南壁の岩窟にあるのが、熊野神社(岩屋神社境内社)。熊野岩中ほどの岩窟に懸造り、三間社流見世棚造りで板屋根という簡素な社殿が築かれています。貞享3年(1686年)の築で、国の重要文化財に指定。
「馬の首根岩」、「貝吹岩」、「見晴らし岩」、「烏帽子岩」を周回する。
「鶯窟」、「奥の院」。
「大日社」。
ゲンカイツツジは民家の庭先と鎖場の上で綺麗に開花していた。今週後半には再訪して、岩場で一斉に開花したゲンカイツツジの宴を眺めたいものだ。
サツマイナモリ、フッキソウ、コショウノキ、シュンラン。
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忘れ雪の三俣山…野焼きと霧氷鑑賞。
http://kabuto1952.exblog.jp/33886181/
2024-03-09T17:00:00+09:00
2024-03-12T07:50:53+09:00
2024-03-09T14:56:11+09:00
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九重連山
三俣山南峰へ到着。青空が覗き始め、綺麗な霧氷原が出現して来た。
南峰テラスからの大船山の展望。南峰山頂からの大船山の展望。
南峰テラスに到着するや否や野焼きが始った。思った程は迫力を感じなかった。やはり野焼きは近くで眺める方が迫力があるね。
野焼きを見学するのは二度目だった。十数年前に一度大船山に御来光登山をした際に、偶然に野焼きを目撃したことがあった。見物では無く、実際に阿蘇で一度、九重で一度、由布院で二度野焼きにボランティアで参加したことがある。
三俣山山頂付近から眺めた、霧氷の飾る連山と三俣山本峰の展望。
南峰から綺麗な霧氷を眺めながら本峰へと向かう。
本峰山頂からの南峰、大船山の展望。
本峰山頂。山頂からの大鍋・小鍋の展望。マンサク鑑賞も考えていたが、大鍋まで下りる元気は無かった。
本峰からⅣ峰へと向かう。Ⅳ峰山頂からの南峰・大船山の展望。
Ⅳ峰山頂からの連山の展望。
スガモリ越からの大船山の展望。大曲駐車場からの三俣山の展望。すっかり雪景色は消失していた。三月になってようやく今季初めて三俣山の雪景色を鑑賞することが出来た。通算150日目の九重の雪景色登山となった。大船山の雪景色も今季はまだ眺めていない。もう一度くらいは雪景色を眺めるチャンスがあるだろう。その際は大船山を目指すことにしよう!!。
早朝の夜明けダムの展望。
我が家の庭もだいぶ春の気配が漂って来た。吉野ツツジももう直ぐ開花しそうだ。
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桧原山&長岩城跡登山(よかやま会)。
http://kabuto1952.exblog.jp/33883627/
2024-03-08T03:55:00+09:00
2024-03-08T05:08:16+09:00
2024-03-08T03:55:53+09:00
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大分県の山
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「啓蟄」の宝満山登山・・・羅漢道の春。
http://kabuto1952.exblog.jp/33879656/
2024-03-06T22:12:00+09:00
2024-03-06T23:44:35+09:00
2024-03-06T22:12:26+09:00
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宝満山・三郡山
〇啓蟄・・・連日の厳しい冷え込みもようやく和らいで、一雨ごとに暖かくなってくるのが「啓蟄」のころです。「啓」は“開く・開放する”、「蟄」は“虫が冬の間、土にこもる”といった意味があり、「啓蟄」は春の到来を感じて虫たちが土から出てくることを表しています。害虫から松の木を守るために、冬の間は藁(わら)でできた菰(こも)を巻きつけますが、暖かくなって菰を外す「菰はずし」は、「啓蟄」に合わせて行う地域が多い季節の風物詩です。カレンダー上では3月5日ごろ〜3月20日ごろで、春分のひとつ前の節気です
羅漢道の「遠望の岩」からの展望。付近にあったセリバオウレンは消失していた。岩の付近にマンサクがあると聞いていたが、残念ながら見つけることが出来なかった。
伝教大師窟。金剛兵衛(刀鍛冶)窟。
天の岩戸岩。天岩戸窟。
十六羅漢。首無し羅漢。
山頂から正面道を下山した。馬蹄岩付近のマンサクがチョッピリ開花していた。当日見かけた唯一の嬉しい「宝満の春」だった(笑)。
コチョウショウジョウバカマ、マルバイチヤクソウ、エビネラン、カヤラン。
羅漢道のセリバオウレンは、二年前に観たのが最後になったみたいだ。僅かに数株程度だったから生存は難しいのではないかと思っていた。九州では昭和40年に宝満山で発見されたのが最初だそうだから、最後の生き残りだったんだろうけどね。下記の写真は、二年前の三月に羅漢道で撮影したセリバオウレン。
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三輪山登拝&天の香具山登山。
http://kabuto1952.exblog.jp/33871655/
2024-03-04T20:14:00+09:00
2024-03-13T07:22:09+09:00
2024-03-04T20:14:19+09:00
kabuto1952
百名山以外の関西の山
大神神社大鳥居から眺めた三輪山の展望。大神神社拝殿。
〇大神神社・・・国重要文化財。寛文4年(1664)徳川家綱公により再建。当神社は三輪山をご神体とするために本殿がなく、拝殿を通して三輪山を拝む原初の神まつりの姿を留める。大神神社拝殿の奥は禁足地として普段は神職さえ足を踏み入れない神聖な場所で、禁足地と拝殿の間には結界として三ツ鳥居みつとりいと瑞垣が設けられています。三ツ鳥居みつとりいの起源は不詳で、古文書にも「古来一社の神秘なり」と記され、本殿にかわるものとして神聖視されてきました。この鳥居は明神型の鳥居を横一列に三つ組み合わせた独特の形式で「三輪鳥居」とも呼ばれています。中央の鳥居には御扉みとびらがあり、三輪山を本殿とすれば、三ツ鳥居みつとりいは本殿の御扉の役割を果たしていると言えます。
〇巳の神杉・・・大神神社境内にあるこのスギは、洞に白い蛇が出入りするといわれていることから「巳の神杉」と名付けられています。御祭神の大物主大神とその妻となった倭迹迹日百襲姫の伝承から、蛇は大神の化身として信仰されています。
三輪山への登拝口は狭井神社境内にある。狭井神社社務所で受付をして入山する。写真・食事禁止。
〇狭井神社・・・狭井(さい)神社は、正式には狭井坐大神荒魂(さいにいますおおみわのあらみたま)神社とよばれ、大神神社の摂社です。境内は清々しい雰囲気の中にあり自然と神々しい気持にさせてくれます。その歴史は古く、垂仁天皇の時代に創祀され、延喜式神名帳にも記載されている古社で、本社(大神神社)の荒魂を祀る神社です。社殿は入母屋造り(檜皮葺)の拝殿、その奥の階段上に春日造り本殿が西面して鎮座します。 祭神は、大神荒魂神を主神とし、大物主神、媛蹈鞴五十鈴姫命(ひめたたらいすずひめのみこと)、勢夜多々良姫命(せやたたらひめのみこと)、事代主神(ことしろぬしのかみ)を配祀しています。
〇三輪山登拝・・・大神神社のご神体「三輪山」は、太古の昔より神さまの鎮まる神聖なお山で、禁足の山として入山が厳しく制限されてきました。近代になり、熱心な信者の方々の要望もあり、特別に入山を許可することとなり現在に至っていますが、もちろん三輪山への登拝は「お参り」が主眼であり、観光や一般の登山・ハイキングとは異なることに十分留意し、敬虔な心で入山いただきます。
展望台・鎮女池・・・池には赤い鳥居の市杵島姫神社(いちきしまひめじんじゃ)があります。女神様です。
〇イチキシマヒメ・・・アマテラスとスサノオが、天眞名井で行った誓約(アマテラスとスサノオの誓約)の際に、アマテラスがスサノオの剣を噛んで吹き出した霧から生まれた三女神の三女。「イチキ(斎き)」は神霊を斎き祭るという意味があるという。なお、この誓約からは五男三女神が生まれており、うち、タギツヒメ(多岐津姫命(たぎつひめのみこと))・タキリビメ(多紀理姫命(たぎりひめのみこと))・イチキシマヒメの三女神を特に宗像三女神という
昼食は「三輪ソーメン、柿の葉寿司」。お土産は銘酒「三諸杉」・・・1660年の万治3年に今西酒造は創業されました。現在は三輪そうめんで有名な奈良県桜井市大字三輪に蔵を構えています。主な銘柄は「みむろ杉」です。口に含んでみるとお米本来の味が広がり、のどを通るとキレの良い優しい酸のによって味が収れんされていく。そんな料理を食べるほどに杯がより進むお酒を目指しています。
昼食後に「藤原宮跡」に移動して、大和三山の一つ「天の香具山」を歩いた。
〇大和三山・・・大和三山とは、橿原市に位置する香具山(かぐやま)・畝傍山(うねびやま)・耳成山(みみなしやま)の三山をいいます。平成17年に名勝指定されました。そして、大和三山に囲まれるように、日本で初めての本格的な都であった藤原京の藤原宮跡があります。
藤原宮跡から畝傍山の展望。藤原宮跡からの耳成山の展望。
〇藤原宮跡・・・藤原宮跡(ふじわらきゅうせき)は、今から約1300年前、持統・文武・元明の三代の天皇が治めた都、藤原京(694~710)の中心にあった宮殿・藤原宮のあったところです。藤原宮にはかつて、一辺約1キロメートルの中に大極殿や朝堂院といった国をあげての儀式や政治を行う施設や天皇の住まいである内裏などがあり、現在の皇居と国会議事堂、霞ヶ関の官庁街を合わせた性格を持っていました。藤原京が都であった期間は694年~710年の16年間ですが、その大きさは後の平城京や平安京を上回る規模ともいわれており、藤原京の構造はその後の都にも引き継がれていきます。藤原宮跡は昭和27年に国の特別史跡に指定されており、また藤原宮跡が構成資産のひとつである「飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群」は、人類史上でも価値の高い文化遺産として、世界遺産への登録を目指しています。
天の香具山へと向かう。下記写真の中央部奥の山が中臣鎌足の墓地とされる阿武山古墳。
〇阿武山古墳・・・大阪府高槻市・茨木市にある古墳で、飛鳥時代の有力者であった藤原鎌足の墓であるとされる。昭和9年(1934年)、建設工事中に発見された古墳で、埋葬当時には最高のものであったとされる夾紵棺(きょうちょかん)と呼ばれる棺が出土した。中には装飾品と60歳前後の男性人骨が残っており、これらのことから「貴人の墓」として注目を浴びた。長い間、鎌足の墓はここから南西2キロにある将軍塚であるとされてきた。しかし、当古墳が発見され、その後の出土品の検証が進んだことで、現在はこちらが鎌足の墓と考えられるようになっている。その理由としては、もともと鎌足の墓とされていた将軍塚からもさほど離れていないこと。死亡時の年齢と合致していること。人骨のレントゲン調査から骨折の様子が判明し、これが鎌足死亡時の状況と合致すること。そして、出土した装飾品が織冠(しょっかん)と呼ばれる冠であった可能性があり、織冠を授かった人物が鎌足しかいないことなどがあげられる。
天香山神社。天岩戸神社。
〇天香山神社・・・天香山神社(あまのかぐやまじんじゃ)の祭神は、櫛真智命神(くしまちのみことのかみ)です。境内にある「朱桜」(にわざくら)という古名で知られる「波波架の木」(ははかのき)は、その昔、占いに用いられたと言われています。「古事記」の天岩戸神話(あまのいわとしんわ)には、天香具山(あまのかぐやま)の雄鹿の骨を抜きとって「朱桜」の木の皮で焼き、吉凶を占ったとあります。
〇天岩戸神社・・・香具山(かぐやま)の麓にある神社で本殿はありませんが、日の神・天照大御神が隠れた天岩窟または、天岩戸と言われる巨石がご神体です。
天の香具山山頂。
〇香具山・・・平成17年に名勝指定された大和三山(やまとさんざん)と呼ばれる香具山(かぐやま)・畝傍山(うねびやま)・耳成山(みみなしやま)のうちの1つです。標高152.4メートル。万葉集では「天香具山」(あまのかぐやま)と詠われて、山というよりは丘の印象が強い南から続く竜門山地の先端部分に連なる山です。山塊は、閃緑岩や斑レイ岩などの堅い岩石で構成されているため浸食の度合いが低かったようです。大和三山の中で、最も神聖視されています。「天の」を冠するのは、天から降り来た山と言われていますが、その山の位置や山容が古代神事にふさわしいゆえに、あがめられたものだとも思われています。山中には南に天岩戸神社(あまのいわとじんじゃ)、北に天香山神社(あまのかぐやまじんじゃ)、さらに国常立神社(くにのとこたちじんじゃ)があり、それらが一種の霊気のようなものを発散させています。
三輪山への登拝後は、集合時間まで二時間程度の余裕があったので、桜井駅周辺を散策した三輪恵比寿神社に参拝した。下記の写真は、三輪恵比寿神社、琴比羅神社、佐藤春夫句碑、欅の御神木(樹齢六百年)。
〇三輪恵比寿神社・・・三輪の惠比須神社は市場の守護神、言霊の神、託宣を司る神さまとして、多くの人々に親しまれ尊崇されてきています。日本で最初に開かれた市場は、海石榴市(つばいち)と呼ばれる市で、三輪山の南麓の金屋というところで、初瀬川の川べりに物々交換の市として開かれました。時代はおよそ奈良時代以前と考えられていますが、平安時代の女流作家清少納言は『枕草子』に「いちはつばいち」と述べています。有名な市場としてにぎわったのでしょう。万葉集にも「紫(むらさき)は 灰指(さ)すものそ 海石榴市(つばいち)の 八十(やそ)の衢(ちまた)に 逢へる児(こ)や誰」と詠まれていて、大勢の人が行き交う「つばいち」を舞台にして、若い男女の歌が詠み交わされていた様子がうかがわれます。
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忘れ雪の英彦山(雪景色と早春の山野草鑑賞)。
http://kabuto1952.exblog.jp/33869184/
2024-03-02T18:37:00+09:00
2024-03-11T12:26:06+09:00
2024-03-03T03:43:38+09:00
kabuto1952
英彦山
高住神社をスタートする時にはまた雪が降り始めて来た。お蔭でこの時期に、雪景色と早春の山野草を一緒に鑑賞することが出来た。
溶岩の壁から北岳山頂にかけては綺麗な霧氷な霧氷の世界に突入。アイゼンを装着していなかったので、滑らない様に慎重に歩行した。
北岳山頂に到達して間も無く青空が覗き始めて、素晴らしい霧氷の風景を楽しむことが出来た。英彦山では今季最後になるかな??。青空に映える綺麗な霧氷を満喫することが出来た。
立ち入り禁止区域の上宮までは向かわずに下山した。下山路では懐かしい先輩ご夫婦に遭遇してビックリ!!。またの再会を期待したいものだ。
鹿の角、浅間山方面の展望。北西尾根、古処山方面の展望。
いただいた写真。綺麗な雪景色と別嬪さん方と一緒に撮った写真もなかなか良いね(笑)。
下山後は早春の花鑑賞を楽しんだ。ミスミソウは寒さのせいか、前回より開花があまり進んでいなかった。撮影用の脚立も用意していたが、あまり役に立たなかった。
イワネコノメ、ホソバナコバイモ、セリバオウレン。
タマゴケ、フッキソウ、ツクシショウジョウバカマ、アケボノシュスラン。
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忘れ雪の九重山(扇ケ鼻)。
http://kabuto1952.exblog.jp/33867788/
2024-03-01T18:19:00+09:00
2024-03-11T12:36:41+09:00
2024-03-02T05:19:25+09:00
kabuto1952
九重連山
廬山道は雪で覆われて白くなり、霧氷も牧ノ戸周辺部から付いていた。登山開始した時点ではガスって展望は無かった。
沓掛山直下のマンサク。下山時には青空が覗いて来たので、青空に映える雪化粧のマンサクを鑑賞出来たが、写真を撮り過ぎて電池切れになり、下山時まではマンサクの写真を撮ることが出来なかった。
扇ケ鼻分岐まで来ると、扇ケ鼻方面に青空が覗き始めて来たので、扇ケ鼻山頂に向けて登りあがることにした。
一瞬の青空に扇ケ鼻山頂の風景が覗く。扇ケ鼻山頂では再びガスの中。風が強く寒いので、岩陰で展望が開けるのを待ったが、なかなかガスが引かないので下山することにした。
ガスが強風で流れて一瞬の展望が開ける。
下山して来るとたちまちガスが引いて青空が覗いて来た。
鍋谷から仰ぎ見た霧氷の飾る扇ケ鼻の展望。
無氷が青空に映えて美しい。
下山路からの星生山の展望。
沓掛山周辺から眺めた扇ケ鼻の展望。
下山後は赤川登山口に行き、マンサクを鑑賞した。
久住山を飾るマンサク。
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雨の月末
http://kabuto1952.exblog.jp/33861840/
2024-02-29T19:33:00+09:00
2024-02-29T19:34:49+09:00
2024-02-29T18:39:09+09:00
kabuto1952
その他
昨日は、久し振りにツキ谷周辺と四王寺山山麓をちょいと歩いて春を探して来た。
四王寺山登山口のテニスコートは、昨年の土砂崩れで使用不能になっていたが、綺麗に整備されていた。キャンプ場のコブシが今にも開花しそうな勢いだった。
ツキ谷で、是非とも鑑賞したかったのは「サクラツツジ」の状態だった。キャンプ場付近に30本くらい植えられているのを昨年確認したが、蕾が大きくなってもう直ぐ開花しそうな気配となっていた。
ヤブツバキ、サカキの花。
ヤシャブシ、カリン、ミツバツツジ、カナクギノキの新芽。
イズセンリョウ、ミヤマウズラ、ジガバチソウ、サツミナモリ。
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春雪の九重山へマンサク&山野草鑑賞登山。
http://kabuto1952.exblog.jp/33860062/
2024-02-28T16:40:00+09:00
2024-02-29T12:12:19+09:00
2024-02-28T14:47:04+09:00
kabuto1952
九重連山
牧ノ戸駐車場に到着したのは、8時半と自分としては遅い時間だったが、駐車場は平日でもあるのでガラ空き状態だった。トレースの無いパウダースノーを踏んで、黒岩山に向かって気持ち良くスタートした。
連山全体は、ガスに覆われていたが、黒岩山は、展望こそ無いが、高度が低い分登山路から山頂にかけては霧氷の展望が開けていた。
黒岩山山頂。マンサクの木は山頂周辺に数本あるが、開花した花はなかなか見つけることが出来なかった。
周辺を探して見ると、ようやくほんの少しだけ開花したマンサクを見つけることが出来た。
黒岩山から下山して来ると、段々と綺麗に晴れ上がって、青空が覗き始めて来た。こうなるのではないかと思っての下山だったので、猶更悔しい思いがした(笑)。
牧ノ戸駐車場から沓掛山に向かって登り上がった。青空が覗いて来たので一段と霧氷の風景が綺麗に見え始めて来た。
青空に映える「雪化粧のマンサク」。眺める機会はそうあるものではない。今年もこの風景を眺められて最高の気分となった。3月1日はまた寒波が襲来する。もう一度眺めに来よう!!。
沓掛山周辺の霧氷。沓掛山手前の岩場から眺めた合頭山方面の展望。
沓掛山山頂からの展望。青空が広がって連山の雪景色が素晴らしく綺麗だった。長靴だから、登山路の泥田状態はそれ程気にはならなかったが、霧氷も溶け出す時間帯になって来るので、カラマツ林付近まで歩いて引き返すことにした。
本日の歩行のラスト地点。カラマツ林の雪景色、星生山・扇ヶ鼻の展望。
帰路で見上げた沓掛山の展望。三俣山、星生山の雪景色の展望。
下山時に眺めた、雪化粧のマンサクの飾る扇ケ鼻、沓掛山の展望。
下山後は、山麓の「春の三花」を鑑賞に、毎年恒例になっている「籾山神社」周辺を歩いて春の訪れを楽しんだ。ユキワリイチゲ、アズマイチゲ。フクジュソウ以外は、まだ開花には時期尚早ではないかと考えていたが、ほんの数輪が綺麗に開花していた。
フクジュソウ、ウシハコベ、カテンソウ。
ラストは赤川登山口周辺のマンサクを鑑賞した。マンサクは満開状態で綺麗に開花していた。572日目の九重登山、149回日の九重の雪景色鑑賞。来年の雪景色はもう鑑賞することはないかも知れないな。同じ風景、同じ花の鑑賞を十年以上も続ければ、流石にマンネリ化して登り上がる気力は薄れてしまったけど、沢山の喜びを九重連山からいただいた。九重の神様に「感謝!感謝!」。
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