そうだ!山に登ろう

登ってきました!あの山この山!

天拝山~基山縦走・・・(JR二日市駅~JR原田駅)

今日は寒さに負けずに何時もの散歩道を少し延長して基山まで歩いてきました。
JR二日市駅(12:08)~天拝山~天拝湖(13:36)~基山(14:40)~JR原田駅(15:45)。13.8km。22321歩。




天拝公園のモミジの紅葉も落葉が目立って艶やかさも最終段階になりました。猫も寒いのか?呼びかけても丸くなって動きませんでした。野良猫には厳しい季節の到来ですね。
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趣のある竹林の道を通過して天拝湖に到着します。
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「今よりは 城の山道はさぶしけむ わが道はむと思ひしものを」
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山頂から背振の展望です。曇天でしたので、山頂には長く止まりませんでした。
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基肄城(きいじょう)跡から原田駅に向かいます。
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JR原田駅に到着しました。
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山路に咲いていた花々です。ノコンギク、オモトの実、フユイチゴの実、サツマイナモリ。
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皇帝ダリア、シマカンギク、ハキダメギク、紫色の花は何でしょうかね?
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下記は今朝の朝日新聞より抜粋した記事です。
大宰府守るため?7世紀の土塁発見 長さ500m 福岡
福岡県筑紫野市の丘陵上で、長さ約500メートルに及ぶ大規模な7世紀の土塁が見つかった。市教委が28日、発表した。古代九州を統括し国家外交の最前線だった大宰府を守る防塁とみられ、丘陵上での土塁の確認は初めて。市教委は「大宰府都城の外郭線」とみており、未確認の広大な防衛ラインが敷かれていた可能性が出てきた。現場は政治の中枢だった大宰府政庁跡(太宰府市)から南東に約7キロの前畑遺跡。土塁は土を盛って壁のようにめぐらせた防御施設で、市教委によると高さ約1・5メートル、下部の幅は約13・5メートル、2段構造で東側が急斜面になっている。標高49~61メートルの尾根をほぼ南北方向に約500メートル(残存部分390メートル)にわたって走る。周辺は宅地開発され、どこまで続くかは不明。土を何層もつき固める版築工法で造られていた。古代大宰府は国家の対外政策の要で、朝鮮半島の百済救援に向かった日本が唐・新羅連合軍に敗れた白村江の戦い(663年)の直後、敵の侵攻に備えて水城(みずき)や大野城、基肄(きい)城(いずれも国特別史跡)が平地や山上に急造された。市教委は「水城や大野城などの築造工法と共通し、出土した土器の年代などから、大宰府防衛の構造物である可能性が高い」という。一部の研究者は、百済の都など東アジアに見られる、城をぐるりと壁で取り囲む「羅城」構造を大宰府に当てはめ、想定ラインも描かれてきた。今回の土塁はそれを少し外れるものの、羅城の一部とみなす見解がある。古代日本の都に中国のような本格的な城壁はないとされるだけに、大宰府での土塁発見は日本都城史にも貴重な材料を与えそうだ。古代山城に詳しい小田富士雄・福岡大名誉教授は「古代山城や水城だけでない都城線の一部が初めて発見されたことになり、きわめて重要だ」と話す。
市教委は12月3日と4日に現地説明会を開く。(渡辺松雄、編集委員・中村俊介)

* 佐藤信・東京大教授(日本古代史)の話 国家事業とみられ、古代大宰府関連と考えていい。基肄城など南の守りと関係するなら、北の博多湾からばかりでなく有明海からの敵襲を意識していたことも考えておく必要があるのではないか。


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by kabuto1952 | 2016-11-28 19:43 | 福岡県の山 | Comments(0)

by いーさん
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